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立川吉笑 二ツ目昇進記念 独演会 その1/2 師匠 立川談笑 10/24

2012年10月24日 二ツ目昇進記念 立川吉笑独演会 in 国立演芸場 ゲスト 立川談笑 その1/2中入り後の後半 語る師匠 立川談笑

吉笑の中入り前2席と、中入り後の1席は追って。

中入り後の吉笑の1席の後は、笑二が足の痺れにくい古い薄い方の座布団を持って楽しそうに出てくるところから。

立川談笑。ソデは立川流の二ツ目の品評会みたいにみんな並んで、どの程度のモノか見ている、と。
吉笑は、談志の作った基準をクリアしたので機械的に昇進させた。色んな師匠の色んな考えがあると思うが、談志の近くに付いていた時代によっても違う。自分が付いていた頃は3年で二つ目にならないものはダメだと言っていたが、先輩達が付いていた頃は3年以上しないとダメだと言っていた。全く反対に変わってきている。自分も吉笑と同じくらいの27才くらいで入って、2年足らずで二つ目になって良いと言われている、と。
新しい立川流ではその先輩達の決め事で3年以上と言うことになった、とも。

前座の時はまだ素人で噺家未満。吉笑には早くしろと言ってきた。早く二ツ目になって人の前でやって自分の芸を問うてみて、2年でダメなら辞める判断をしろと言っている、と。
何年も、いつまでもしがみつかせてはいけない。噺はソコソコできるがモノになっていない噺家はゴロゴロいる、と。

談志は気働きをしろと言っている。相手をするのは見ず知らずの人で、その人達を楽しませるには、まず一番身近なオレを楽しませろと言うモノだった。
自分の時は上納金30万円にギャラを払った。「上納金はとっていないし、帯までやっちゃった。」と言うのに会場から拍手。談志には全部で300万円払ったかな、と。

出身の江東区北砂の実家は小さいが一軒家。家族は鍵を持っていない。宅配も玄関を開けて荷物を置いて自分でサインをして帰って行く。鍵が無いどころではなく、戸には鍵穴も付いてない。暫くぶりに実家に帰ったら知らないおばさんがお茶を飲んでいて「あんた誰。」と。そんな情景を思い浮かべてくれ、と。
「吉、随分親戚が多いな。」と言ったが、私の客ばっかりだったりして、と。

談志の話の時はケチの噺、談志の弟子にもこう言うのがいるところを見せる、と言えば談笑ファンがコアな噺を期待して会場が沸く。
片棒改。浅草5656館でやった三四郎の二ツ目昇進披露でも同じ噺をやっている。その時と同じように、膝立ちしてうつむいて「ネタを間違えたような気がする。」とやっていた。二ツ目昇進の会の時の定型版なのか。その時と同じように最初のミッキーの声は1割くらいの人。
三四郎の披露の時は、談春がこんなに短い時間じゃやだと言っていたことや、談四楼がボンボン唄をやったのを思い出す。

終わって、このくらいしておけば弟子もやり易いだろう、と。
甘いことばかりを言っているのではなく、先般一人弟子を切っている。理由は、二つ目になった時に、2年して自分で辞める判断ができないだろうと思ったから。今のうちに辞めさせてやった方が良いと思ったからだ、と。可哀相なことをした、と。厳しくするところは厳しくしている、と。

先輩を抜きたくなかったので、談志にバレないように隠れて3年半二つ目にならなかった。その間に勉強会を毎月して、この片棒が出てこない片棒改や、がまの油スペイン語や、東北弁金明竹やなんかを作った。
毎月勉強会をやらないとダメ。年に4回ぐらい格好良くやってもダメで、格好だけでは済まされない。毎月だとやりたいことだけではやっていけなくなる。
なかなか毎月やる子は少ない。談大が毎月やりますと言って3回やったところで亡くなってしまった。
二つ目になってやりたい落語ができるようになったが、客に喋って楽しませなければダメで、その為には自分が楽しまなければ、と。
吉笑は変わったことをやろうとしているが300人、500人の人達が推してくれたらサマになる。気に入ったら足を運んでやって欲しい、と。

吉笑を呼び込んで、「是非よろしく見守って、足を運んでやって下さい。」、と。